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歴史カルタ大会 (2006.01.4)

            
今どきの子供はカードで歴史を学ぶ
パーフェクト恒例の新春カルタ大会。昨年の地理カルタに引き続き、今年は歴史カルタで勝負!
これは色々な歴史人物が描かれているカードで遊びながら学習できるもの。子どもはポケモンやムシキングに夢中になることからもわかるように、遊びながらだと、何でもあっという間に覚えてしまう。歴史カードなら、おもわず身を乗り出して楽しみながら学習できる。
 
今回のルールは練りに練ったキーワード3つのヒントで歴史上の人物を早取りするゲーム。どの顔も真剣そのもの。ヒントはよく聞かないと、早とちりはお手つきとなる。どこにあるかよ〜く見て。あ、見つけたぁ!
坂本龍馬や豊臣秀吉のカードを手に生徒達がなんとも楽しそうに対決している。
       
ただ覚えるだけの味気ない歴史も、主な人物をターゲットに、いろいろなゲームができる。カードを並べて年表を作るゲームなどもあっという間に完成。カルタで遊びながら、人物に関係する事がらを自然に覚え、歴史に対する興味関心も高まってきている。子供達は楽しいからもっと遊びたいと言う。
カルタの歴史
2世紀頃(平安王朝時代)に、貴族の間(宮中の姫など)でもてはやされた優雅な遊び「貝覆い」と、その発展形「歌貝」。 その昔、カルタは紙ではなく貝だった
貝覆い 歌貝
「かるた」のもう一つの流れが、16世紀半ば頃(安土・桃山時代)にポルトガルから九州へ南蛮渡来品と共にもたらされた「南欧文化のカード遊び」である。
「かるた」とはポルトガル語の「Carta」・・・いわゆる「カード」の事で、その音が日本にそのまま伝えられたようだ。南蛮かるたを元に作られた「天正かるた」が国産かるたの第一号と言われている。
南蛮かるた 天正かるた
カルタは手軽に持ち歩ける上、場所も取らないため、戦国時代・戦陣の武士たちの骨休めに用いられた。が、やがて賭事に使われ始め熱中度が高まったため1597年四国・土佐の長曽我部元親は「博打歌留多諸勝負令停止」なる掟書を出し、賭博を禁止している。
            長曽我部 元親 江戸時代安定期に入ると、当初貴族や武士の社交として用いられたカルタは裕福な町民の元へ、やがて一般庶民の間へと広まっていく。そして、大衆娯楽となるにつれ、賭博性も高まっていく。
すると民衆の勤労意欲・生産力の低下、犯罪の増加など問題が生じ始める。かるたの大流行を見た幕府は、1702年には、江戸で賭博禁止を徹底するために「博徒考察」の役を設けて取り締まった。

表面上禁止された賭博系カルタに代わって、詩歌を書いた「歌かるた」(後の小倉百人一首)や、動植物・歴史・社会知識等を書いた「絵合わせかるた」、また、ことわざやたとえを書いた「いろはかるた」などが生まれた。これらは全て、賭博用のカルタと区別するため、名称や形などに違いを出した。
こうしてカルタは幕府による禁令の目から逃れるため、姿形を西洋風から日本風へと趣を変えながら、名を変え、遊び方を変えて、生き続けていく。カルタは子供にとっても大人にとっても、お正月のたのしい遊びで、今に続いている。


調べてみると、カルタは結構奥が深いですね。
 
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